講座報告
2016年1月16日(土)10:00~16:00/2016年1月17日(日)10:00~16:30
豊田市生涯学習センター・旭交流館
目的/ねらい
1) 一年間の豊森での学びを総括し、あらためて今後の社会のかたちや各々の人生、くらしかせぎつとめにおいて、大切にしたいことが何かを塾生に考えてもらう。
2) 2月の修了レポート発表に向け、塾生同士が相談しながら、各自の考えをまとめるための機会をつくる。
   1日目  2日目
午前 レクチャー「豊森的幸福論」 レクチャー「未来のための江戸の暮らし」
午後 修了レポート作成のためのワークショップ 修了レポート作成のためのワークショップ
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資料 豊森的幸福論(駒宮博男).pdf 未来のための江戸の暮らし(澁澤寿一).pdf
1日目:32名/2日目:34名

1月16日と17日、第五期豊森なりわい塾の第9回講座を行いました。

会場は小渡の旭交流館です。
時節柄、路面の凍結等が心配されましたが、
無事に講座を終えることができました。


今回の講座は、午前中がレクチャー、
午後は修了レポート作成のためのワークショップの時間、
という構成の二日間でした。





◆修了レポート作成のためのワークショップ

2月に発表いただく修了レポートは、
「X年後」の塾生ひとりひとりについて、考えて表現していただきます。
宿題だけだと辛いものがあるということで、
仲間間で互いに話し合う中で、ひとりひとりの考えが整理されてゆくのではないか・・・?
という時間です。
昨年、第四期でやってみてとてもいい感じだったので、第五期でも実施してみました。

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基本は3人1組。これくらいが、深く話し合うにはちょうどいい人数だと感じています。
1ラウンド45分設定。2日間で計4ラウンド、180分。

昨年よりも長くしましたが、やっぱり短い??くらいでした。


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◆レクチャー「豊森的幸福論」 駒宮博男

「近代、歴史的進歩主義を見直し、もう一度「幸せ」の根源を探る」という
大仰なサブテーマが付いていますが、駒宮さんからの最終講義です。
これまでのレクチャーの総括的な位置づけになりました。


講義録とパワポのスライドを抜き出して、ざっくりとご紹介します。


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――無理に無理を重ねてきたのが近代というシステムだと思っている。どういう無理が生じているかを考えてみたい。

 国民国家の崩壊。そもそも国民国家は成立から200年しか経っていない。今や国家と国民は完全に乖離している。クローズアップされたのが国の弱体化。新たな戦略として、地域の重要性。目に見える範囲で社会を変えるということが重要。信頼の範囲内で幸せを追求することが大事。誰かが何かをやってくれる時代から自分の手の届くところ、目に見えるところを変えていく、そうじゃないと幸せになれないんじゃないか――


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――いったい幸せとはなんなのか。格差の少ない脱成長社会はあるのか。

 古くは1800年の真ん中にジョン・ステュアート・ミルが定常型社会を唱えた。マクロ指標(GDPなど)は不変だが、内部は文化の華が咲き乱れるのが理想的な社会だと言っている。

 最近では、フランス人のセルジュ・ラトゥーシュの脱成長論。「経済を目的とする社会、社会が目的となる経済に直さないといけない」、「合理的経済人の集合は無秩序な個人集合である」と言っている。これは非常に重要な視点。全体として合理性を徹底的に追求すると非合理的な社会活動になってしまう。互酬、ローカル化を中心とする脱成長をしないといけない。キーワードは「コンヴィヴィアリティ」。愉しみと分かち合いの社会――


koma_800.jpg――究極の問題として、関係性を分断したのが経済システムであり、自然科学であり、唯物論である。精算と消費の分離。昔は地域の自然の中に人間の世界があった。ヒト生態系。これが近代文明により完全に分離した。これをどうすればいいか。時間の流れを縦にすると、過去の人達、祖霊や神々、未来の人達といった全ての関係性が良好に保てないといけない。 
 ちょっと微妙な話だが、人間は肉体と魂を玉の緒で繋げていて、玉の緒が消えると死んでしまうという考えがあった。これと全体を比較すると、人間世界と自然は宇宙観で繋がっていたと思うのだが、今や宇宙観が切れているのではないか。ある意味、人間世界の死を意味しているのかもしれない。

 表記言語は問題だと思っている。「紙を汚すより、魂をきれいにしたほうがいい」。これはペルシャの詩人ファリードゥッディーン・アッタールの言葉。表記言語にまどわされず、魂を綺麗にしたほうがいい。
 失われたものを取り戻すためにはどうするのか。関係性を取り戻す。身体性を取り戻す。身の丈に合った環境を考える。身の丈に合った技術を考える。欲を増殖させない。国家じゃなくて地域を中心に考える――



こんな感じのレクチャーでした。

詳しくは講義資料「豊森的幸福論(駒宮)」をご覧ください。




塾生の感想を紹介します。

・「幸せとは何か」出口のない迷路に入り込んだ現代の構図をひもとき、色々なテーゼを与えていただきました。「そうだよな」と思うことがたくさんあり、すっきりしました。ありがとうございます。

・とても面白かったです。自分を含めて7代を考えること改めてそうしようと思いました。今の時代は地球の大きな歴史でみたらほんの少しに過ぎない。今自分が居る場所というのはどうしてもそれが全てと思ってしまいがちで、そうではないと知っていてもまたすぐ忘れてしまうと苦しくなるなと感じました。新しい時代を作っていく「生まれた時から脱成長」な人たち。その純粋な人たちの感性を潰したくないし昔の良きものを結びつけて、反応を起こしていけたらと思います。

・世界から実勢経済まで幅広く論じるとどうしても多くの矛盾に気づき思考が定まらない。特に紙幣価値を尺度にするようになり、幸福の価値観が大きく変化したことを学んだが、格差社会の問題定義するときに「何」のものさしで格差を論ずるべきか難しい。

・「幸せ」とはについて、とても考えさせられる内容でした。マチを再生しないと「ムラ」は再生しないという言葉が印象的でした。 目に見える範囲で社会を変える。信頼の範囲内で幸せを追求する。自分に対して友人、地域コミュニティ、家族、職場の関係性を大事にしていく。紙を汚すより魂をきれいにしたほうがいい。大変感心しました。

・総まとめの講座として、幸せについてあらゆる角度からお話しいただきとても勉強になりました。中でも、自分の関わりとして、今の社会・地域・家族・過去(祖霊)・未来(次世代)・神、これらが良好でなければならないという考え方は、胸が打たれたようでした。 また、このようなモラルが社会(地域)の中で、醸成された時代があり、それをどのようにして取り戻していくのか、考えていかなければいけないと感じました。未来の幸せな社会のあり方は、いかなるものか? 妄想していきます!  駒宮さん1年間本当にありがとうございました。







◆レクチャー「未来のための江戸の暮らし」澁澤寿一

持続可能な社会が一番続いたのは江戸時代。
江戸がどういう社会だったのか、そこにはどういう人が住んでいたのか。
かつて持続可能な社会であった日本の中の日本人像を、
当時日本に来た外国人たちの私信をまとめた渡辺京二さんの本『逝きし世の面影』から抜粋しながら、
当時の人の様子を見てもらいました。


また、最後には澁澤さんにとって「人生が変わるきっかけ」となったという
新潟県の奥三面集落のお話をいただきました。


講義録から、写真を交えてダイジェスト的にお届けします。


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 ――いまの社会は自分達のことだけを考える社会になっている。次の世代にどうやって想いをつなげるかということを持たない社会になってしまった。文明は発達しても、吉野の250年の森はもう作れない。その矛盾をどう考えるか。無縁社会という現実を僕たちは生きている。人と人、人と自然、世代間、そして自分の中のもう1人の自分との関係性。パワースポットのように外側に解決策を求める。この無縁社会をどうやってもう一回繋いでいくのかということを考えないといけない。
 持続可能な社会が一番続いたのは江戸時代。江戸がどういう社会だったのか、どういう人が住んでいたのか、どういう日本人だったのか。当時日本に来た外国人たちの私信をまとめた渡辺京二さんの本『逝きし世の面影』から抜粋しながら、かつての日本、日本人の様子を見てもらう。互助公助で支えあってきた社会。かつての日本は鎖国をしていたから、この中だけで生きていかなくてはいけない。ただただ我慢してたわけではなく、知恵も使い、いろいろやったけど、その中に喜びも嬉しいこともあっただろうし、いろんな文化を残してきた。そのかつての日本をいまの地球に置き換えてみる。宇宙からの太陽エネルギーの供給以外、物質が増えも減りもせず循環している。仕組みとしてみたときの持続可能な社会を考えることは簡単だが、一体どういう人たちがその仕組みを動かしていたのだろうか――



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――近代パリは下水が完璧に管理されていて、糞尿が全部セーヌ川に流れ、川からものすごい量のメタンガスが発生していた。しかし、その頃の江戸は、糞尿は全部肥料として農地へ返っていた。つまり、当時のヨーロッパの都市は都市が単体として考えられていた。しかし、江戸は農村部と都市とがセットで江戸という街だった。うちのばあさんは明治28年生まれだが、子どもの頃よく隅田川の風景を聞かされた。4月になると白魚が俎上する。船頭さんが網ですくってくれて、酢醤油で飲むと食道を白魚が動きながら胃に落ちていったのを忘れられないと言っていた。
 この風景を見て外国人は驚いた。世界最大の都市の江戸の中心を流れる川が、なんでこんなにきれいで、なおかつ緑が多いのか。それはリサイクルを価値だと思う庶民意識と、物流システムによって形成されていた。都市と周辺の農山村を一体としたエコシステムであり、風土と文化が調和した姿だった――



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――小学校で挨拶月間とかやっているけれど、かつての日本人はこういう社会が当たり前の社会だった。やらされているのではない。とにかく出てくるのが「陽気さ」と「作法」という言葉。とても陽気な国民だった――



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――使用人が言うことを聞かないという不満は多くの外国人に書かれている。しばらくすると、それは自分の言うことを聞かないのではなくて、この人にとって最善になるためには、この人の言っている通りではプラスにならないだろうと考えて行動していると気づく。ヨーロッパの使用人は判断してはいけないと教育されるが、日本の使用人は自分で判断する。つまり自治。封建制度だが庶民社会には自治が行き渡っていた。江戸の奉行所は警視庁と裁判所と東京都庁の権限を持っているが、人数はわずか50人。つまり組内の自治がしっかりしていたということ。それは自分で判断できる大人の社会。子供の社会だと、全部誰かがやってくれると思い、自分で判断しなくなる――

スライド93_400.jpg――慈しみや優しさとか、そんな簡単な言葉ではないかもしれない。もっといえば愛という言葉かもしれない。宗教用語でいう赦しかもしれない。そして自分を赦して、人も赦す。集落を愛して、自分を愛するという感情がこの集落を3万年続かせてきたことに初めて気づいた。
 今の社会を見ると、小学校の低学年までは優しい子どもが褒められるが、それ以降は偏差値が高い子が褒められる。僕たちはそういう基準で大人になるための階段を彼らに与えてしまっている。だけど本当に僕たちが持続可能な社会のために育てなければいけないのは、偏差値の高い子供ではなく、優しい子供だったのかもしれない――

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――この塾でいろんなことをやってきた。聞き書きもした。エネルギーの話や公共サービスの話もした。その根底にあるものは、持続可能社会の根底にあるものを私たちは見失って来ているのかもしれないということ。もういちど持続可能な社会をどうやって作っていくのか。次の子供たちにどうやってそれを伝えていくのか。どう実現させていくのか。それが使命なのかなと思っている――





塾生の感想を紹介します。


・江戸の人たちの「子供っぽい」という言葉を、今まであまりいい意味で捉えていなかったが、実はすごく柔軟で、創造的で、しあわせな言葉だなと感じた。そういう人がどんどん増えたらいいなと思った。誇りと責任という言葉も印象的。心の片隅で、この行動は自分で責任とれるかな、を少しずつ積み重ねていけば、江戸の人の所作が身に付いていくかなと思った。それなら今から始められそう。

・ただただ胸がいっぱいになり、涙があふれそうでした。そして、それがなぜ失われてしまったのか、という残念な想いも同時に湧いてきて脱力しました。今よりはるかに不便な暮らしの中だけど、日本全体が幸せに満ちあふれていた時代、そして美しい文化が華ひらいた時代が愛おしく感じました。自分が日本人だという誇りや、国への愛着を初めて感じたかもしれません。

・最後の話が強烈でした。全て江戸時代に戻らなくても、良い所は取り入れていきたいと思います。ブータンの子供達の笑顔とダブる所もあり、また、豊かな自然の景観がどんどん無くなってしまっている事に、改めて危機感を感じました。

・「思い」を伝承するために、私たちができることはなんだろうと考えさせられました。デジタルでつながるのではなく、江戸のような関係性を実はみんな求めているのではないかなぁと思いました。

・持続可能なくらしとは、精神の持続のことなのではないかと思っています。






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